仲間が欲しい人は、映画『七人の侍』を観よう!

遅ばせながら人生初の黒澤明作品になった「七人の侍」ですが、大満足で見終わりました。とりあえず30代に突入する直前に見れたことが唯一の救い。海外の教養ある友達が大学の学部時代にKUROSAWAを見て感動した言ってるのを聞き、日本人としての情けなさと個人的な教養の低さに呆れていたということもあった。

 

見始める前から、敷居はそびえ立つくらい高かった。というのも、①古臭いイメージ②白黒③上映時間3時間半、というまさに観る人を選ぶ映画という訳です。

 

見始めてわかったことは、第4の敷居があったこと。それは、登場人物の言うことがほとんど聞き取れないということ。特に農民の訛りが激しくて全然聞き取れないからストーリーの流れから置き去りにされました。きっと英検2級持ってる人が1級のリスニング問題を解いている時のような感覚。所々単語はキャッチできるけど、推測ありきで薄っぺらい理解をしているもやもやもやみたいな。

 

結局早々に諦めて、日本の映画なのに、日本語字幕をポチっとON。直前に「ローマの休日」を字幕なしで見ていたんですが、オードリー・ヘップバーンの英語の方がはるかに分かりやすいという、大いなる皮肉。恐るべし農民アクセント。まさか日本語の聞き取りで困難を感じる日が来るとは・・・!

 

そんなこんなで数々の乗り越えるべきポイントはあるものの、近年の若者様方には是非この映画を観ることをお勧めしたい。自己啓発本もいいけど、こういった映画から学ぶことも沢山ありますよ!いや、世界の黒澤に、世代は関係ないのかもしれない。老若男女問わず、生きているうちに一回は観よう!“世界のクロサワ”と呼ばれるのには、それ相応のその理由があるんだよ。

 

実際、スティーヴン・スティルバーグ(『ジョーズ』、『E.T.』、『インディ・ジョーンズ』の人)や、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』で有名)、フランシス・フォード・コッポラ(『ゴッドファーザー』トリロジーや『地獄の黙示録』)も黒澤明の影響を受けたと公言しています。

 

 

この記事では『7人の侍』を通して、現代社会で働くことを考えていこうと思う。特に近年陽の目を浴びているフリーランスノマドと言われる働き方で、組織の一員にならずに働きたいと考えている人は、この映画は絶対に見るべきと思う。

 

あらすじの紹介

 

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野武士(落ち武者)の襲撃から逃れて村を守るために、農民たちは侍を雇うことを決める。町に出て行って侍を探すものの、そんな百姓の話に付き合うものなどいない。というのもそれは価値も名誉もない仕事で、報酬は「腹いっぱい白飯が食える」、それだけだからだ。そんな中で1人の侍がその村を助ける決意をする。そして彼を中心に残り6人の侍を味方に加えて、村を外敵の襲撃から守るために、百姓と一緒に戦略を立て協働していきます。そして実際に襲撃の日を迎えます。7人の侍と百姓たちの運命やいかに。

 

 仲間になったメンバーとその特徴

 

勘兵衛
リーダー格の最年長の侍。冷静沈着で論理的なボス。数々の戦いをくぐり抜けて生き残ってきた男で、自身の戦闘能力もさるものながら、豊富な知識と経験戦を持つ戦術家でもある。現代で言う、ビジョンを語り戦略を練り社員を束ねる社長。

 

菊千代
大胆で傍若無人な山犬のような自称侍。実は農民の出身。底抜けに明るい無邪気なムードメーカーで人情に篤く、農民と侍の間の架け橋のような存在になる。論理とか他人の目といったものは眼中になく、自分の正義に突き動かされる。時に輪を乱したり、危なっかしい存在になるが、農民が隠している者を引き出したりと大活躍。

 

勝四郎
まだ前髪の残る最年少、実戦経験のない半人前のプリンス。いわば新入社員。職務内容は社長勘兵衛の指示の伝達。仕事中に農民の女と恋に落ちてしまい、大人になります。

 

五郎兵衛
勘兵衛の人柄に惹かれて仲間になった侍。勘兵衛の参謀役として、村では共に地図を片手に策を練ります。夜には勘兵衛とともに見回りをする。社長のビジョンと人柄に共感して入社して役員になったような人物。

 

七郎次

村に到着するとすぐに柵を作り始める行動派の侍。野武士が西を襲ってきた際には、農民たちと協力して追い払う。農民たちへの気づかいに長けており、農民たちに時の声を上げさせて士気を上げたり、決戦前夜には自らが物見に立って農民たちに「家族に会ってこい」って言って休ませる優しい男。

 

平八
「実力は中の下だが、正直な面白い男。その男と話してると気が開ける。苦しい時には重宝する」と人に言わせる。ポジティブほんわか系男子。基本戦闘は逃げる派。苦境でも前向きな姿勢は崩さない。士気を上げるために自分達の旗を作るなど、菊千代とは違う形で侍と農民のムードを盛り上げる。

 

久蔵

自らの理想を実現するためにストイックに剣術に励む、男が憧れる男のような存在。めちゃくちゃ強い。死を恐れないニヒリスティックな一面もあり、手柄を上げても決して驕らない。イチローの侍バージョンとでもいうのか。村では、農民に竹やりの指南をする。彼こそまさにスペシャリスト。

 

 

まとめ・感想

 

 この映画を観たら一人で働くことがなんだか、馬鹿らしく思えてきた。というよりは「仲間っていいなぁ」としみじみと感じる。1つのプロジェクトを成功させるために、全く違う得意分野を持った人間が集まり、それぞれの長所を発揮しながら事業を行っていく。また、誰かの長所が誰かの短所も同時に埋めているような時もあって、これぞまさにこれ以上ない素晴らしいチームワークだと思う。

 

1つの目的を達成するというビジョンの共有が先にあって、それに向かって突き進んでいく。現代の日本の学校や企業は、仲間に対して価値観の共有を求めすぎ。これからの時代の企業マネジメントは、価値観の共有よりもビジョンとノウハウの共有を優先するべきです。言い換えるなら、組織の繁栄は、いかに異質な存在をその中に受け入れられるかの寛容性と、

 

フリーランスとして働くのもいいいけど、仕事を通して社会的に実現したいことを持っている人は仲間を作ろう!本来会社の存在意義はそうでしょう。仲間と協働して目的を達成しよう。私の場合は「英語教育の敷居を下げて、家庭の経済的状況に左右されずに全ての人が英語を学べる場所を作ること」もっとたくさん仲間を集めて実現したい!

 

名言・響いた言葉

 

平八「いや、子どもは大人より働くぞ。もっともこれは、大人扱いをしてやればの話だが」

まだ子どもの勝四郎は村へ連れて行かないと考えている勘兵衛。だが、農民や侍たちは、勝四郎を連れていくように勘兵衛を説得する。勘兵衛は折れて、勝四郎を連れていくことを認める。喜ぶ勝四郎は、満面の笑みを浮かべて勘兵衛の元にやって来る。

 

平八「いいか。敵は怖い。誰だって怖い。しかしな、向こうだってこっちが怖い」

村にやってきた侍たちは、野武士を迎える準備をする。侍の1人である平八が、侍たちとともに戦う農民たちに、戦の心構えを教える。単に農民たちを鼓舞するのではなく、恐怖を認めた上で、相手も恐怖を抱いているということを語る。

 

勘兵衛「人を守ってこそ、自分も守れる。己のことばかり考えるやつは、己をも滅ぼすやつだ!」

村を守る方策を考えた勘兵衛は、離れている3つの家を守ることが難しいため、捨てるように命じる。離れ家に住んでいる茂平は、そのことに反発して、仲間から去って行こうとする。そんな茂平に対して、勘兵衛は刀を抜いて仲間のもとに戻させる。その時の勘兵衛の言葉。

 

勘兵衛「抜け駆けの功名は手柄にならん!いいか、よく聞け。戦は一人だけでするものではない!」

野武士が持っている3丁の銃が、侍や農民たちの脅威となっていた。少しでも脅威を減らすため、野武士たちを襲って1丁の銃を奪ってくる久蔵。久蔵の活躍を勝四郎が憧憬を込めて語るのを聞いた菊千代は、勝手に持ち場を抜け出して野武士の元から銃を奪ってくる。だが、持ち場を離れた菊千代を、勘兵衛は叱りつける。

 

侍って生き方としてカッコいい。映画の中でも捕らえた敵を深追いして殺すことはしなかった。いわゆるアングロサクソン的なグローバル資本主義が日本のビジネスの主流になった昨今、そんなことを言っていても無残に斬り殺されるだけなんだろうなぁ。

近所で見かけた桜に一目惚れ。でも・・・

昨日ポスティングをしている時に、素敵な景色を見つけました。こんな近くにこんな心安らぐ場所があるなんて。もう感動しました!桜はいつ見てもいいですね。

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残念なことは、やはり写真だとそのスケールとか空気感とか立体感が伝わらない所なんですよね。どれだけ加工しても絶対に伝えることができない。


百聞は一見にしかずとは言うけど、何事も百回写真で見るよりも、実際に行ってみるほうが大事ですね。身体を使った体験と経験。英語で言うとhands-on experience。経験値がないと成長しないのは人間もポケモンも同じ。


写真を見るだけで全てをわかったような気になっちゃいけません。だから私はインスタグラムがあまり好きになれない。あれって写真が綺麗なだけで、その場所が必ずしも綺麗な訳じゃないでしょう?

平安神宮で桜を見てきました!

いにしえの薫りが漂う街並みの青空の下で、満開に乱れ咲く桜。打ち上げ花火とはまた一味違う一瞬の美。儚さの象徴。

そんなことを感じながら平安神宮冷泉通りの桜を楽しんできました。やっぱり京都の桜は格別に素敵ですね。

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はるか遠く昔の日本人はこう歌いました。

「色は匂えど散りぬるを」(いろはにほへとちりぬるを)

現代語で言うと、「花は美しく香り高く咲いてもいつかは散ってしまう」

昔習った、いろはにほへと、ってこれのことなんですね。意外に知らない人も多いのでは。こんなところにも日本文化の影が落ちているとは!恐るべしジャパンカルチャー。

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のどかな春の日に咲いて、あっという間に散ってしまう桜は、日本人にとって人間の生と死の象徴としても捉えられていたのかもしれませんね。

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なんとなく見て癒されるのに加えて、そういった精神性みたいなものも自分の中にインストールされているような感覚にも気づくんですよね。日本人で良かった。そして日本語という高度な言語を使いこなす民族に生まれたこともまた感謝!

日本語って極めて感情・情緒的で感覚的な言語であると言われます。例えば、「ふにゃふにゃ」といったオノマトペの類とか、「萌え」とか「粋」とか。これらは英語に訳せないし、訳したとしてもその言葉が持ってる全ての概念をカバーできずにこぼれ落ちる概念がでてくる。萌えはcuteでもsweetでもないし。

海外からの観光客のような方々も沢山きていました!

小学生3年生が来てくれました!

最近着々とお問い合わせの件数が増えております。本当に感謝の一言に尽きます。ありがとうございます!


今日は3年生が来てくれました。特に小学生の場合、初めて会ったら緊張して口を開けてくれない子もなかにはいますが、ここでは全くそんなことがない。

今日来てくれた生徒さんも、最初は緊張していたけど少し慣れた頃に明るい笑顔をくれるようになりました。

やっぱり授業をしていて生徒さんの笑い顔を見るのはいつでも嬉しいものですね。そのために頑張っていると言っても過言ではない。勿論学力を上げることは至上命題だけど、知識だけ植え付けて心が育たない授業にはしたくないですからね。


また来週お待ちしています!

英語ディクテーション練習問題:「選択の科学」より

今回はTEDからディクテーション問題です。レベルは中級。TOEIC500点以上あればおおかた正解できるかなといった所です。

 

お題は「選択の科学」です。

 

人生は「選択」「偶然」「運命」の3つから成り立っており、自分の意思でコントロールできるのは選択だけだ。ということがこのプレゼンのコアメッセージではないかと思う。

 

つまり、人生をより良く生きようと思えば、選択の質を高めることがおのずと大切になるという訳だ。

 

日本語の字幕もついているので、英語が分からなくても教養としての勉強になりますよ。

 

それではディクテーションは、[12:24~12:41]までやってみましょう。Instead of...で始まる文章です!それでは解答は下に書いておくので、Let's try!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Instead of making better choices, we become overwhelmed by choice, sometimes even afraid of it. Choice no longer offers opportunities, but imposes constraints. It’s not a marker of liberation, but of suffocation by meaningless minutiae.

 

セルフレジは上から目線。顧客に感謝ができない事業は潰れてください。

ローソンがセルフレジの運用を開始するそうだ。導入の理由は人手不足であったり、その他諸々の背景があるだろうが、結論から言うと私はセルフレジは嫌い。というのも極めて感情的な理由から。店舗経営の合理性の側面から考えたら、納得できる要素はあるけど、そんな角度からこの問題を考える気は一切なし。この記事は私が持っているセルフレジアレルギーなるものをツラツラ書いていく。

 

理由はこれに尽きる。「企業の顧客に対する上から目線」これを感じる訳ですよ。

 

この間、近所のとある店に久しぶりに行ったら完全にセルフレジ化されていた。以前なら支払いの時に店員さんが丁寧に対応してくれていたのに、それがなくなり「お支払いはあちらでお願いします」としか言われなくなった。なーんも喋らない無機質な自販機みたいな集金機を前にしてお金を払ったわけだけど、そこで感じた違和感はめちゃくちゃ大きかった。

 

なんか「買いたいモノ買ったら出てってや。その代わりお金は忘れずに払ってや。宜しく」って言われてるみたいで。実際その店の集金機の横には支払いをきっちり済ませないと開かない自動ゲートみたいなものまで設置されていた訳である。あっちが集金マシーンなら、こっちは現金支払機かよ!なんやこの関係は!って思わず突っ込んでしまった。

 

そもそも、消費者として生活しているうえで、私はお金を払う瞬間が一番重要な瞬間だと思っている。自分の生活を豊かにしたり、欲求を満たすためには絶対にモノやサービスを買わなければならない。そしてそこで支払われるお金は、自分が汗水たらして働くことによって得たお金である。だから、お金の支払いの現場は極めてセンシティブな所なのだ。そしてそうであるべきだと思う。

 

生産者や売り手は、お金を払って頂く消費者に対して「ありがとうございます」これは絶対に言わなければならないし、その言葉が一番顧客の心に響く瞬間って、お客さんが財布からお金を出した時でしょう。事業者は、その数秒の瞬間をないがしろにしたら絶対にいけない。


実際に、何か買い物をした時に店員さんから心がこもった「ありがとうございました」を貰うと、私は一瞬でファンになるし、またそこで買い物をしたいなぁと考えることもある。そんな人って少なくないはず。いくら支払いの場が商品と貨幣の物々交換の場だとはいえ、あまりにシステマチックに済まされるのは何か気持ち悪い。

 

企業の在り方としても、お客様に感謝することは忘れてはいけない。なぜなら、企業を企業として存在、存続させているのは、意思を持った一人一人の顧客だから。顧客がいなければその事業は無くなってしまう。いわゆる倒産だ。

 

私は「企業は顧客に生かされている」と強く信じている。実際に自分の事業において、それが顧客に生かされていることが分かっているから、感謝の言葉は自然と口をついて出てくるし、より良いサービスを提供しようと汗をかくことも苦に思ったりすることはない。だから、企業が顧客を生かしているという考え方は全く理解できない。一見、企業は顧客のために存在しているように見えるが本質は逆なのだ。だから企業はそんな妄想に囚われて上から目線で商売をするべきではない。

 

結論としては、今回のセルフレジの件は、なんか企業の上から目線とか企業の都合を感じる。人手不足とか言うなら時給300円ぐらい上げたらいいのに。安い時給で人を働かせようとしておいて、それで人が集まらなかったら人手不足!だなんてどんだけ都合いいねん。儲けることしか考えてないの?

権威と権力について考えたこと

ツイッターの世界のおしゃべり自販機じどはんさんのツイートより。

 

 

そもそも権威ってなんぞや?権力との違いは?まずはそこの定義から。

 

権力:上から下に強制的に従わせようとする力

権威:人々がすすんで従おうとする、下から上に向かってはたらく力。(※敬愛の念や尊敬心がこれにあたる)

 

本題に戻って考えると、日本人は確かに権威的なものに追従する力が強いのかもしれませんね。歴史的に見ても絶対どこかに“御上”がいるし。天皇制なんかまさにその例。終戦に至るまで昭和天皇は完全に権力であり権威だった。終戦後の昭和天皇今上天皇は政治的権力さえ失ったものの、象徴としての権威性は保っているし。

 

 

GHQがメスを入れたのは国民の求心力として機能していた天皇制と財閥の解体だったけど、戦後日本の復興で社会の中心になっていたのは会社という組織。そこでも結局人々は年功序列などの上下関係の中にいて、人の上には人がいるという状態が再生産されていた。

 

 

年上の人に敬語を使うことや、おじぎ一つにしたって自分で自分を上下関係の中に組み込んで、相手に権威性を与える行為なんだよ。

 

 

社会的、文化的側面を考えても日本人は権威主義的。主義的というよりは上の者/物には妄信イズムくらいかもしれないけど。

 

 

一方特にアメリカではそんな縦割りの社会機構がない。英語という言語を中心にして他民族を一つにまとめ上げて独自の発展をしてきた。日本とはまた違った意味での横並び。誰にでもその門戸が開かれていて、努力をすれば成功を掴み取ることができる。その名もアメリカンドリーム。

 

 

WASPなどのエスタブリッシュメントは建国当時からずっと政治の中心にいるけど、一般の移民である国民は同じスタートラインから始まっている。(最近のアメリカは意外とそうでもないのだが)

 

 

だからアメリカでは中途半端な権威を装っても、人が食いつくことはあまりないように思う。アメリカ出身の人と話をしていると、肩書きや会社名で自分を語る人は本当に少ない。

 

 

「I teach 〇〇〇 at university」みたいに何をしているかを言う。「どこで?」って聞いて初めて「Kyoto University」とか返ってくる。

 

 

やっぱり大事なのは、何をしているか&何ができるか。「あんた何ができんの?」って聞かれて黙ってしまうようなら終わりやね。

 

 

特にアメリカ人との付き合いでは、認められないとなかなか輪に入れてもらえないことがある。イチローも似たようなこと言っていたなぁ。それは目に見える結果を出すことであって、意識高いことを語ることではない。

 

 

権威うんぬんよりも、成果と結果。プロセスの評価はなし!振り返ってみれば、良くも悪くも日本って国は表面的なものに権威とか価値を置いてるのかな。「どう見えるか」といった容姿至上主義はその典型。そのおかげでファッションは発展したけどね!

 

服装に比較的無頓着な諸外国にいる方が、より中身を測られてる気はするね。精進あるのみ。